ご予約
山の茶屋
山の茶屋
「そうして完成した場所は耕された畑ってとこね。
そこに、奥さんの米子さんが種を蒔いて、小さく
て可憐な花が辺り一面に咲いた。そして、その花
を私が眺めにきてるってわけ。なんか、ロマンチッ
クだと思わない?」
「よく喧嘩したわよ。でも、手を取り合ってきたらこそ、ここまでやってこれた。名もなき花がついに咲いた。路傍に芽吹いた二輪の草が、みんなのおかげで花を咲かせ、みんなの心を明るくして、幸せな気持ちにできたのよね。

 好きなことを一生懸命やってきた。身を捧げてきたといっていいくらい毎日真剣だった。好きだからやり続けられたんだけどね。そればかりでもない。がんばったわよ。そして、今度はお客さんが認めてくれた。自分自身が過ごしたいと思う時間やシーンをイメージして形にしたものをね。浜辺の茶屋にお客さんが付きはじめて、『コーヒーの次は食事ができる場所がほしい』、と思うようになった。それで山の茶屋。

 山の茶屋で何を提供するかとことん考えたわ。沖縄の素材、 沖縄の料理。それをベースにしたお母さんの手料理。私はプロの料理人ではないから、 沖縄に生まれたお母さんとしてできることをしようって決めたの。今は息子をはじめ、若いスタッフががんばってくれている。夫の信吉は芸術家肌だから、経営を支える必要があったのよ。お店をつくるまでは彼の仕事。お店を切り盛りするのが私の仕事。 彼の作品作りを現実的な面から支えてきたのよ。彼の作品は無謀すぎると言われることが多いけど、『自然を生かして人が癒される空間をつくる』というコンセプトには私も心から共感してきたわけ。

 だから、こんな私でも⽀え続けることができたのよ。私には⼤きいことはできない。けれど、たとえ⼩さくてもいいから楽園をつくっていきたいという気持ちは彼にも負けないわ」
 海が好きか山が好きかと尋ねられたら、正直答に困る。どっちかなんて選べない。だって両方好きだから。初めて浜辺の茶屋に行ったときは感動で胸が一杯になった。その頃は平日だと、今ほど混み合ってもいなかったのね。開店直後を狙って足を運んだわ。行くたびに静まり返った店内で、海をぼーっと眺めてはもの思いに耽ってた。

 山の茶屋ができてからは、潮の満ち引きに応じて、浜辺の茶屋に行ったり、山の茶屋に行ったり。今でも沖縄に来たときは日替わりで通ってるのよ。沖縄にはいろんなカフェがあちこちにできたし、スペシャルティコーヒーをおいしく飲ませてくれるお気に入りのお店も何軒かあるけど、やっぱりここは捨てがたいのよね。

 森の中にあって、しかも、海を見渡せる。晴れた日はもちろんだけど、どっちかといえば、雨降りの日にここに来るのが好きかな。しっとり潤った緑と、ブルーグレーの海と、その向こうに広がるダークグレーの雨雲がグラデーションを描いてたりして、そのアンニュイな感じがなかなかなわけ。沖縄の自然に思いっきりハグされてるこの感覚は、子どもの頃、お母さんの胸に抱かたときに感じた心地よさとすごく近いしね。
 ロケーションも眺めも大好きなんだけど、石釜で焼いてくれるピザも、沖縄の家庭料理も、素朴であったかくって、おばあちゃんの家に遊びにきたような気分を味わえるの。使われている野菜は、スタッフとか近所の人が育てたものが多いのよ。手に入らないときは、近くの直売所で地元の野菜を仕入れてくるみたい。

 そうそう、石釜では自家製酵母のパンを焼いていて、そのパンは浜辺の茶屋のカンパーニュサンドに使われているんだって。焼くときに使う薪は街路樹などの選定作業で集められたもの。そういうとこも感じがいいよね。

 お店の中には古きよき時代の沖縄の暮らしを描いた絵がたくさん飾られていたり、大きな琉球石灰岩がむき出しになっていたりで、非日常を存分に味わえる。外には緑の木陰のテラス席があって、読書したり、葉書を書いたりするときによく利用してるの。派手さはないかも知れないけれど、草原に咲く野の花みたいな、可憐でさりげないもてなしがここの良さだと思う。
 創業者の稲福さんに前に話を聞いたんだけど、山の茶屋を建てるとき、銀行から反対されたんだって。「2号店をなぜ浜辺の茶屋のすぐ近くに出すのか」って。でも、測量のときに浜辺の茶屋の次はここにしようって決めたって。

 この辺りに測量のために入ったときに、樹齢何年か分からないくらいの大きなガジュマルと大きな琉球石灰岩の塊を見つけたそうなの。「氷山のように7割以上は土に埋もれているだろう」って直感したって言ってたわ。玄関のドアを開けて中に入ると正面に大きな岩があるんだけどね。野性的な岩肌をむき出してでーんとすわっているのが、稲福さんがそのとき見つけた琉球石灰岩なんだよ。

 だけど、予定地は下の道路からずいぶん登った場所にあるわけね。だから、お客さんには長い階段を登ってきてもらわなくちゃいけない。銀行だけじゃなく、お父さんにも反対されたって。「わざわざ100段の階段を登ってお茶を飲みに来る人なんかいない」ってね。

 着工するまで説得と資金調達にずいぶん時間がかったし、工事が始まってからも100段の階段にはコストと時間がものすごくかかったそうよ。「コンクリートは使いたくない」って、すべてを琉球石灰岩で仕上げから、周りからは「お前はクレージー」だと言われたんだって。
  「なぜそこまでしたんですか?」って訊いてみたの。そしたら、「たぶん前世は石工だったはず」だって。「沖縄の石積の技術を後世に残したかった」とも言ってたわ。

 「やろうと思ったのは土地と自分との出会いがあってのこと。あの傾斜があったからあの階段を発想した。今思えば無鉄砲だった。無茶ができた。40代後半のことだったからね。結局、工期は2年かかった。地元のベテラン石工が二人いてくれたからこそできた。首里城の修復工事を終えた頃で、タイミングがよかった。すべては出会いとタイミング。規模は小さいながらも城跡のような雰囲気を味わってもらえる場所にすることができた。曲線の出し方には特に気を使ったね。階段のちょうど真ん中に広い踊り場にもこだわった。広い面積なので普通ならカットした石灰岩を使うところを、掘り出した石灰岩を丸ごと使った。もともとそこに自生していた木々を生かすのが大前提の場所だから、それに見合った階段にしたかった。足の疲れを忘れさせる場所、50段登ったら雰囲気のある踊り場があって、この上にきっと素敵な場所があるんだろうと石が語ってくれるように、こだわり抜いたよ」。

 話しはじめるとこんな感じで稲福さんは止まらなくなった。ロケーション、建物、たどり着くまでの道すじ。すべてが作品だって熱っぽく語ってくれた。そうして完成した場所は耕された畑ってとこね。そこに、奥さんの米子さんが種を蒔いて、小さくて可憐な花が辺り一面に咲いた。そして、その花を私が眺めにきてるってわけ。なんか、ロマンチックだと思わない?