さちばるやーどぅい
自分を生きることって、実はとても素敵なこと
さちばるやーどぅいのはじまりは1700年代、沖縄が王国だった頃のことでした。王府を離れて地方に移った士族が、この場所で新しい生活をはじめたのです。

緑深い原野に人の手が入ることで、私たち人間が植物や動物と共存する場所になりました。それから時が流れて、1994年。士族の子孫が浜辺に茶屋を建てたとき、再びこの地に生命が吹き込まれたのです。

さちばるの庭、ヴィラさちばる、浜辺の茶屋、山の茶屋 楽水、山の小屋、天空の茶屋、AMAMIKIYO。この場所の地形、ここにもともとあった石積み、この地で生命をつないできた生きものたち。この土地に根ざすすべてのもののつながりを、できる限りそのまま生かしました。

花、鳥、風、月、石、波、光。沖縄ならではの時間の流れに身を置くことで、生きていることの喜びを、誰もが感じることのできる場所。それがさちばるやーどぅいです。
稲福 信吉
Nobuyoshi Inafuku

 私はアメリカによって統治される沖縄に生まれました。学校では日本語を話し、学校の外では沖縄語を話してきた私は、流暢な沖縄語を話す最後の世代です。アメリカに支配され、日本に影響される沖縄。そういう特異な状況に育ってきたことが、日本人だけれども沖縄人的に物事を考え対応するという、今の私のバックボーンになっています。

 40歳でライフスタイルを180度変え、さちばるやーどぅいをつくることができたのもそれと無縁ではありません。方法や規模は何であれ、一度しかない人生で、自分が生かされているこの島に貢献することをいつも心に留めてきました。大国の狭間で翻弄され続ける沖縄で生きてきました。

 沖縄は軍事的な観点からキーストーンとされてきましたが、今、大きな変化が起こっているように感じています。国境や宗教を超えて世界中の人々が集う新しいツーリズムの拠点としてのキーストーンへ。沖縄の潜在的な観光資源は沖縄の人と風土と文化です。それらを掘り起こして披露することが、変化の第一歩になると信じています。沖縄をより深く知ることのできる土地の歴史、自然とつながっていることを実感させてくれる在来植物や生きものたち、先人の知恵が詰まった伝統の石積み。時折吹き抜ける爽やかな風を感じながら、今まで気づかなかった沖縄に触れていただけたら幸いです。

〔沖縄県南城市玉城生まれ〕

稲福 米子
Yoneko Inafuku

 自分へのご褒美として喫茶店に通い続けるうちに、自分の手で素敵なカフェを営みたいと、1991年に「ちかざん茶屋」を開業。その後、夫の稲福信吉とともに「浜辺の茶屋」をオープン。完成までの毎日、「一所懸命がんばります。たくさんの人にとって、ここが喜びと癒しの場になりますように」と、土地の神様に祈りました。

 1994年春に希望を込めて蒔いたひまわりの種子が、その年の夏に花を咲かせてくれました。そして、12月の小潮の日に、浜辺の茶屋が無事開店。穏やかでひっそりとした、静かな一日だったことを覚えています。

 その日、ガラスの浮き玉が浜辺に流れ着いたんですね。そうしたら、数日後の大潮の日に、出勤したら、貝がいっぱいついた大きなガラスの浮き玉が流れ着いているのを見つけたんです。少女のような気持ちになって、裸足になって駆け寄ったの。拾い上げて、海からの贈り物として受け取ることにしました。

 この出来事が大きな励ましになったのです。自然の愛に触れた思いがしました。心から喜びました。その時の感動をみなさんにも味わってほしいのです。ここ玉城の海と山の魅力に世界中の人に触れていただいて、喜びと癒しを体感してもらえたらと願っています。

〔沖縄県島尻郡南風原町生まれ〕