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山の小屋
山の小屋
鳥になって羽ばたいて、
何かにとらわれていた自分から少しだけ自由になる。
心の中にぽっかり空いた穴も、
ここに来るたびに少しずつだけど小さくなっている。
「海も山も遊び場でね、海のどこに行けばどんな魚や貝が獲れるかを、山のどの辺りにどんな果物がいつ頃実るかを知ってたんだよね。でもね、前もって狙いをつけておいた果実も、熟す機会を見誤ると、誰かに食べられてしまう。ライバルは人間だけじゃない。鳥や野ネズミに先を越されてしまうこともある。

 食べ頃を見誤ったり行動が少しでも遅れると誰かの手に渡ってしまう。お金を出せばたいていのものが手に入る今だと、ちょっと想像するのが難しい競争がそこにはあった。苦労して自分の力で手に入れた果物を口にした時の感動は、そりゃあすごかった。大人になった今でもバンシルー(グァバ)はおいしいけど、子どもの頃の感動は今の30倍くらいはあったかなぁ。昔は貴重な宝物だったんだよ」
 小学生の頃、『大草原の小さな家』と『トムソーヤーの冒険』と『未来少年コナン』に夢中になった。女の子なのに、秘密基地や無人島や冒険という言葉にすごく惹かれた。男の子に負けないくらいわんぱくだった。


 夏休みが来るたびに山奥にあるおばあちゃんの家に遊びにいって、川遊びをしたり、野山を走りまわっていた。そんな私も、いつのまにか初恋の相手に胸を焦がし、やがてほんものの恋をした。人並みに大人になって、社会に出た。100点満点とはいえないけれど、それなりに充実した毎日を送ってる。けれども時々感じるときがある。何かが欠落している、何かが足りない、何かがかみ合っていないと。
 私を沖縄に向かわせたのは胸の中にぽっかり空いた穴だった。言葉では表せない虚ろな感じ。穴の奥は真っ暗で、そこから冷たい風が時々吹く。太陽が眩しくて、一年中温暖で、日向と日陰のコントラストがくっきり鮮やかな沖縄に来ると、心がいつもより元気になった。

 何度か沖縄を旅するようになって、浜辺の茶屋が行きつけの場所になり、それから山の小屋を知った。サマーキャンプや林間学校で体験した少女時代のあの感覚。おばあちゃんの家で過ごした夏休みのあのときめき。トムソーヤの冒険にでてくるツリーハウスとは見た目は違うけれど、秘密の隠れ家的な雰囲気はまるで同じ。

 シンプルでウッディーな一棟建ての森のコテージ。 10数年前に浜辺の茶屋の創業者が仲間たちとセルフビルドした手作り感のある小さな宿。 窓からはきらめく海を心ゆくまで眺められるし、鳥のさえずりと風の囁きに心を和ますこともできる。自然にすーっと溶け込むようにして、山の小屋は、沖縄の自然を満喫できるさちばるの庭の中に佇んでいる。そしてそこには、夏の終わりにかぐわしい香りを放つ、バンシルーの木が何本か植わっている。
 少年時代に稲福さんが野山で見つけたバンシルーやシークヮーサーは、今では考えられないくらい特別な存在だったそうだ。今の世の中、おいしいものは山ほどある。数えきれないくらいある。大人になって、自分で稼ぐようになって、世界中のおいしいものを食べるようになった。どれもが目新しくて、ドキドキするほどおいしい。

 でも、時々、思い出す。子どもの頃におばあちゃんの家で食べた西瓜のあのおいしさを。あの時の感動を。大人になって初めて口にした目新しいおいしさと比べてみたら、子どもの時に食べたあのおいしさは、味覚的にはそれほどでもないかもしれない。でも、心に刻まれた感動は、過ごした時間やたくさんの経験を前にしても、色あせることなく今でも鮮明だったりする。
 少年だった稲福さんがおいしいものを探し求めて駆け回っていた1960年代は、日々の食べものを競い合って手に入れていた時代だったのだろう。稲福さんによると、その頃の沖縄には、競争と同時に分かち合いの精神が、今以上に生きていたという。たくましくて自由。鳥たちが巣をかけ雛を育てる野山のように、夏が来るたびに海の向こうから渡ってくる鳥が子育てをする森のように、安らかに穏やかに過ごせる環境が、その頃の沖縄にはあったという。

 山の小屋はそんな風に、休暇のたびに訪れて、自分を整え直す場所。職業や年収、 肩書きやステータスに関係なく、ありのままの自分でいられる場所。鳥になって羽ばたいて、何かにとらわれていた自分から少しだけ自由になる。心の中にぽっかり空いた穴も、少しずつかもしれないけれど、ここに来るたびに確実に小さくなっている。