アマミキヨ
アマミキヨ
いつの間にか、うつら、うつら。人の手は心地よい。
自分以外の誰かの手。
遠い昔の記憶がまどろみの中から、
立ちのぼってくる。
「沖縄で暮らしていると、自分が活かされているという感じがします。もし私が東京で暮らしたら、『自分にはここでは何もできない』と思うはず。特別にこだわりを持って暮らしているわけではないんですよ。この場所に受け入れられているというか、何らかの役割があって生かされているだけのような気がします。

 他人と競争するのではなく、自分にできることをやっている。そして、それに共感する人がいつのまにか集まってくる。そんな感じ。私は私、自然体で生きています。飾らないし、作らないし、ありのまま。たとえば、月を見て、素直に『きれいねー』って普通に言える。この場所だからそうできているのでしょうね」
 さちばるの庭のエントランスから緩やかな坂をゆっくり登っていく。あたりの空気は樹々が放つ緑のオーラでいっぱいだ。メジロのさえずりが、頭上からまっすぐ降りてくる。右手を見やると、ふわふわの赤い花が影の中に揺れている。心の扉をいつもより少しだけ開いてみる。

 自然の気配をおなかいっぱい吸い込むと、さっきまでよそ行きモードだった身体が新しい環境に馴染じもうとするかのように大きく伸びをする。竹でできた門扉をくぐる。大きなガジュマルの木に守られるように、緑色のコテージが姿を覗かせる。

 母屋までのアプローチに使われている敷石は、沖縄でよくみる琉球石灰岩よりちょっと柔らかそう。湿潤な亜熱帯の気候だからか、表面には緑の苔がむしている。限られた産地でしか採取できないという粟石だろう。ああ、ここも特別だ。
 テラスで施術の時間を待っていると、風に揺られるようにして、オオゴマダラが大きな花に舞い降りた。ふわり、ゆらり。黒地に白の切り子ガラスを思わせる大胆な文様が目をひくこの蝶は、王女のように華麗で優美。

 真っ赤な花が太陽だとすれば、花に寄り添うモノクロームのオオゴマダラはさながら月といったところだろう。目を閉じると、遠くから聞こえてくる潮騒に合わせて、瞼の裏で太陽の光が踊っている。

 「こちらへどうぞ」。案内されたのは悠久の時間が刻まれた大きな岩を壁にしたガーデンルーム。屋根は折り重なった樹々の葉っぱ。屋外なのに、何か大いなる存在に守られているような安心感。目を閉じると、心がひとりでに開いていった。
 施術してくれた女性は、内地から半年ほど前に沖縄に移住してきたばかりという舞子さん。それまで旅行に来たことさえなかったのに、2年前、沖縄に住もうと決めたそうだ。その後、何度か沖縄に来てリトリートを受けた彼女は、来るたびに自分の決意が間違っていないってことを強く思ったのだろう。

 「カリフォルニアのシャスタ山にしばらく滞在したことがあるんです。そう、世界的な聖地として日本でも知られている山です。何もない大自然の中に降り立つと、夜は真っ暗闇、空には星が眩いくらいに瞬いていて…。はじめはこんなところで生活なんてできるんだろうかって不安になりました。でも、暗くなれば寝ればいい、冬は家の中でできることをすればいい。そう思うようになったんです。自然にぴったりくっついた暮らし。人間って自然の一部でしかないんだなあ、ありのままの自分であれる場所で生活してみたいなあ。シャスタ山でそう思ったんです」。

 日本だとどこだろうと考えた結果、海と山と風が感じられる場所として思い浮かんだのが沖縄だったという。彼女の話を聞きながら、太陽の光があってはじめて輝ける月のことを思った。
 いつの間にか、うつら、うつら。人の手は心地よい。自分以外の誰かの手。遠い昔の記憶がまどろみの中から、立ちのぼってくる。優しい手、力強い手。

 手のひらが触れるだけで、安らかな気持ちになれたあの頃の私。心細くて折れてしまいそうなか弱い存在だった頃の小さな自分。満ちたかと思えば、欠けていく。階段を一つ登ると目の前には新しい階段が現れる。真っ暗な新月から、眩しいくらいの満月に。月が空を巡るように、私の心も何かの周りを巡っているのだろう。