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ヴィラさちばる
ヴィラさちばる
「一度は緑に覆われてしまったこの場所に
もう一度光を当てたくてね。大変でしたよ。
ウチナーンチュとしてのアイデンティティが
完成に向けて何度も背中を押してくれたんです」
「浜辺の茶屋を始めたのは『さちばる』というこの集落が持っている土地の魅力をみんなに伝えたかったからなんですよ。私の仕事は土地を磨いて光り輝かせること。横文字で言えばランドスケープデザイナーということになるのかな。

さちばるの庭という立体庭園を構想したとき、庭園の中にゆったり滞在できる宿泊施設をつくろうと決めていた。太平洋の雄大な海と亜熱帯のみずみずしい森を同時に味わえる大人のための隠れ家をね。さちばるは人里離れた傾斜地にあるから、誰にも邪魔されることのない空間に身を置いて、自分たちだけの時間を過ごせるはずなんです。

『ヴィラ さちばる』の一番の価値は、沖縄の大地や自然と寝食を共にできるところ。朝から昼へ、そして夕方から夜へとゆったりと流れていく時間。そこに身を委ねることさえできれば、自然のリズムを身体に取り込むことができるんですよ。

そして、自分たち人間がこの地球とつながっていることを再認識することもできる。沖縄の魅力や沖縄の場の力を感じられる土地は、たくさんあるけれど、土地そのものと寝食を共にして、そこに暮らすように滞在できる施設はそう多くはないはずですよ」
豊かな生態系を育むやんばるの森、世界有数のダイビングスポットとして知られる慶良間諸島、首里城をはじめとする世界遺産、琉球王朝時代に技を磨いた古典芸能など、ここにしかない自然や文化が溢れる沖縄には、毎年多くの観光客が訪れる。

日常の生活では見ることのできない非日常の光を求めて、私も沖縄を何度も訪れている。日本で指折りのリゾート地というだけあって、ゴージャスなリゾートホテルから赤瓦の民宿まで色々なタイプの宿泊施設がある。友人の勧めで初めてここを利用したとき、「ああ、なるほど」と思った。あの彼女が気に入るのも当然だと頷いた。

ルームキーでドアを開けて奥に進む。部屋のなかは、壁一面に広くとられた窓から差し込む南の島の太陽でいっぱいだった。まばゆいほどの光の世界に思わずたじろいでしまう。無垢材を使った木枠の窓を開け放つ。海を渡ってきた風が頬をくすぐるように撫でる。海風にそよぐ木々の梢。太陽の光を受けてきらめく海。どこからともなく聞こえてくる鳥のさえずり。東京とはまるで別世界だ。

スーツケースを玄関に置きっぱなしにしたまま、空を流れる白い雲に見とれてしまった。ゆっくりと表情を変える空と海を飽きることなく眺めながら過ごしていると、一つ、 また一つと、心を覆っていた何かが剥がれ落ちていく。いつもよりも素直になっている自分に気付かされる。これだ、この感覚だ。自分を沖縄に誘うのは。
夕方に突然雨が降り出した。沖縄ではにわか雨のことをカタブイという。こっちは雨で向こうはからっと晴れている。そんな雨。雨音がしだいに静かになって来た。いつの間にか雲が切れはじめている。そのとき突然、野鳥がさえずった。クワズイモだろうか、ハート形の肉厚な葉っぱの上で、再び照りはじめた太陽の光を受けて、水玉が輝いている。

東の空には、幸運なことに二重の虹が懸かっている。光がどんどん強くなる。窓から差し込む光がダイヤモンドに負けないくらい美しくきらめいている。「素敵だな、いいな、ここ」。思わず言葉がこぼれ落ちた。

二人でビーチに降りていって、夕空を飽きるまで眺め続けた。その日はちょうど大潮で、ヤドカリがさっきまでよちよち歩いていた砂浜を、ちゃぷりちゃぷりと満ちてきた潮が覆いはじめた。呼びかけられて後ろを振り向くと、東の空に見たことがないくらい大きな月がひょっこり顔だしていた。晩ご飯を食べてヴィラに戻ると、月明かりで部屋じゅうがほのかに光っていた。
夜風が心地よかったので、ベランダでシャンパーニュをひと瓶空けた。流れる雲に月が隠れると、ウインクするみたいに星が瞬いた。南の水平線近くに、すーっと流れ星が落ちていく。虫が鳴きはじめると空気が少しだけひんやり感じられた。五感が受けとめるままにまかせていたら、いつの間にか瞼が閉じていた。

太陽がまだ昇りきらない暁に、鳥のさえずりで目を覚ました。窓を開け放ってからベッドに戻り、ぼんやり外を眺めていた。やがて、東の空がオレンジ色に輝きはじめ、間もなく太陽が顔を出し「おはよう!」と挨拶してくれた気がした。今日もなかなか素敵な日になりそうだ。
「構想から20年以上かかってヴィラさちばるがやっと完成してね。正直な話、途中で何度か諦めそうになったし、工事もたびたび中断したんですよ。でもね、諦めきれなかった。さちばるは、私の祖先が切り開いた土地だから。1609年に薩摩がこの島に侵攻してきてからというもの、琉球王朝の経済状況は年々悪くなっていった。そして、俸禄を得られなくなった士族が地方に都落ちするようになった。その際に開拓した新しい集落をやーどぅいというんです。士族といっても農村では新参者だから、農民がまだ手を付けていない不便な土地を開墾して、畑をつくって生活するしかなかったわけですよ。

ここはそうやって、切り拓かれた場所のひとつ。一時は深い緑に覆われ尽くされてしまったこの場所に、もう一度光を当てたくてね。子孫である私が整え直したわけです。大変でしたよ。でもね、ウチナーンチュとしてのアイデンティティが完成に向けて何度も背中を押してくれたんです。そして、風光明媚な観光スポットとはひと味違う場所に磨き直すことができた。

沖縄の歴史、文化、風土に根ざした場所。大きなリゾート施設にはできないことが、ここでならできるんじゃないか。そう信じて、土を整え、石を積み上げてきた。私は歴史や文化や自然の専門家ではないけれど、この土地のメッセンジャーとして、自分なりの言葉でこの土地のことを伝えることはできる。あのときも信じていたし、いまもそう信じていますよ」